
『100万円の花びんを作る』−大西先(はじめ)さんは砥部小学校6年生の時、文集に“自分の夢”をそう書きました。
「小さい頃から、土や焼き物で遊ぶのは当たり前でしたね」
先さんは生まれた時から、陶芸の仕事に励む父・光さんの背中を見て育ちました。
父・光さんは徳島県出身。実家が「大谷焼」の窯元を営んでいたため、学校卒業後に京都市工芸指導所陶磁器専修科に入所。そこで陶芸を学ぶ中で、京都風の端正な白い器に憧れを持つようになります。砥部で窯元を開いている知人の薦め、また実家の窯元のお父さんが亡くなった事などもあり、地元・徳島ではなく、独立の地を「愛媛・砥部」に求めました。
昭和45年(1970年)。それは、大阪で日本万国博覧会が開催され、米国ではアポロ13号が打ち上げられた年の出来事でした。
その5年後の1975年、先さんは大西家の長男として誕生します。
長男・先さんは、松山南高校砥部分校デザイン科に入学。卒業後、さらに京都の陶芸関係の2つの学校で学び、その後、父・光さんが営む大西陶芸に戻ります。
「でも、父の凄さは、一緒に仕事をしてみて初めて分かりました」
小さい頃から、焼き物や土に馴染んできた。そして何年もかけて幾つもの専門学校で陶芸を学んできた。だけど、お父さんの「凄さ」は、一緒に仕事をするまで分からなかった。
先さんは、力を込めてそう言われます。
そして昨年、先さんはお父さんから「有限会社大西陶芸」の経営を受け継ぎ、社長に就任します。
(つづく)
大西陶芸ホームページ: http://www.h2.dion.ne.jp/~ohnishi/







